
藤壷勇が語る イーグル号の一生
昭和57年に藤壷勇氏が自動車雑誌にイーグル号について、対談記事が掲載されました。

オートバイをこさえようと思って
「オートバイをこさえようと思って、18ぐらいかな、とにかく17から18歳のときに自分でエンジンをこさえたんです。うちは親の代から鉄工所なんです。そんな関係で機械が好きだったんですね。まあ、まともなものはできなかったけど、とにかくまわるということだけはやったんですねぇ。
それから大阪のほうに行って、本格的に修理、販売をやっている店、そこは自動車とオートバイを両方やっていたんですけどそこで弟子みたいにして習ってねぇ。
当時は小学校くらいでは雇ってくれないんですよ。人間もあまっているし。どうしても中学程度の学力がないとだめで私は親の家にいるとき、早稲田中学の通信教育というのがあったんでそれを修了していたんですがそれだけじゃ物足りないんです。当時のパーツリストてのは全部英文だったでしょう。そこで大阪に行ってから、関西大学の夜間部に入ったんです。会話はできなくても読めなきゃどうしようもないですものねぇ。それで読めるだけのものを習いにずっと通っていたんですよ。
それで満21歳のときに、大阪から福岡に1回帰って、福岡のフォードの出張所、そのあとはBMWと修理一本でやってたですねぇ。だけど元々オートバイが好きですから手が切れないんですよ。こんな話をしていると長くなるからなぁ。今73歳で、50年以上やってますからねぇ。
ええ、戦時中もオートバイの修理と販売をやっていました。やっぱり戦争中でも、高かったけど買う人いましたねぇ。ただ戦争中は乗ってよかったけど、ガソリンとかの問題で、報道とか医者、官庁ぐらいしか乗れなかったんです。」
ハーレーを参考に

「私がイーグル号を造ろうと思った当時は足でミッションを入れるオートバイというのはなかったです。戦後に元々は潜水艦で持ってきたか、なんか知らんですが、軍関係で入ったハーレー125を米兵からもらったんです。
人はよく、ヤマハを真似たんじゃないかって言うんですがヤマハの出る5年前ですからそんなことできないですよ。
これをこさえるのに、3ヶ月だったかなぁ。ハーレーのエンジンを九州大学工学部の木型屋さんに頼んで、それで図面も引かずに造ったんですよ。図面引いていたらそれだけで大変なものですから。あとはうちで機械全部持っていたから、クラッチからなにから全部造ったんです。エキゾーストパイプ、マフラーは当時から得意でしたし、ハンドル、フレーム、タンク、サドルまで自分で造りました。だから外注は少なかったですよ。ニュームを吹かせるとかそんなものです。

買ったのはヘッドライト、キャブレター、チェーン、スポーク、リム、タイヤぐらいですね。それで3ヶ月ぐらいでできたんですよ。
実際これをこさえたのは1949年だったんです。大阪の展示会にもってったのもこの年だったんですがこの時に本田(宗一郎)さんなんかも来て、「写真撮らせてください」なんていうのでいいですよ、どうぞとんなさい、なんていったんですけど、当時はまだ本田さんとこは本格的なオートバイ造ってなかったですね。イーグル号の発売は1950年の春だったと思います。
当時は材料も申請しないと買えないんですよ。タイヤもそうでした。リアカーの引っ掛け式を使いましたね。

車がなかったですからねぇ、5~6万円の価格だったと思いますが、造るそばから売れましたよ。だけど材料が入らない。造りたくても造れない。500台はこさえてないですねぇ。
その後横浜に出てきて、ここのすぐ近くの工場で、プレスフレーム、私が自分でたたいてつくったんですが、この新型はいくらも出していませんよ。」
独自のアイデア

「フォークは完全に私が考案したものなんです。私はオイルのやつもやったんですが当時オイルのショックなんてできなかったんです。で、イーグル号はスプリングだけです。中は今のと全然違いますけど、私が考案して、小さな振動でも、ちょっとしたものに乗っても、ぬけるようにこさえてるんです。
この中には3種類の堅さのスプリングが入っているんです。小さな振動には一番弱いの、次がきたらやや堅め、うんときたら、一番強いのと3段階にショックを受けるんですね。それだけじゃゴムマリみたいにボンボン弾んじゃいますしね。だから、戻りのスプリングが上に入ってるんです。
伸びるときはそのスプリングを縮めなきゃなりませんからフォークは一杯には伸びないようになっているんです。上にボルトとナットがあってスプリングを好きに調整できますから、場合によっちゃあ、今のダンパーより調子がいいくらいです。
ストロークは大体5インチから6インチ(127~152mm)ですね。これもパテント申請したんですよ。ところが事務員に行かせたら、手違いで、お金(申請料)を出してなかったんですね。それで1年たっても何もいってこないんで、きいてみたら、そういうわけだったんですよ。それで皆が真似してワンサワンサできましてね。これ特許取ってりゃ、私なんか今頃大金持ちですよ。
なぜエンジンを125ccから150ccにしたかというと、これはダットサンのスリーブをいれたんです。ニュームのシリンダーっていうのはまだ日本にはなかったんですよ。鉄のシリンダーはできてもポートがあるでしょう。どうしても鋳物の砂が落ちるんです。そのために性能がうんと変わってくる。それで私がニュームでこさえて、ダットサンのスリーブを入れるとちょうどいいんですよ。それでピストンもそれに合わせたから、150ccになったんです。」
独自のアイデア

「九州大学の工学部に頼んで、パワーテストをしてもらったんです。そのころ10000回転するエンジンはなかったんですねぇ。それでメーターを振り切って、九大のほうでも、これは確実に10000回転以上回っているということになったんです。それは、ハーレーとはキャブレターにしてもポートにしても全部違ったからなんです。良かったのはニュームのシリンダーにしているでしょう。ポートをハイカムと同じ考えで、吸入を早くして排気を遅くするようにできたんです。キャブレターもミクニに行って合わせてもらったんですよ。
2サイクルは、ビリヤースを昔からやってましたから、わかってたんですねぇ。それでエンジンも一発で決まりました。
ダイナモは元の車についてたやつからコピーして私のほうでこさえたんです。ところが、銀座の裏通りにハーレーの部品を売っているところがあって、そこに125のダイナモがあったんですよ。当時いくらでしたかねぇ、安かったですよ。それ買って、ウチのに付けたら、やっぱり向こうのがいいんですよねぇ。それをダイナモメーカーに貸したこともありましたよ。
ウチだけでこさえてたんじゃ間に合わなくて、メーカーに頼んだんですよ。私のダイナモの残りが名古屋のメーカーにまだあるっていってましたよ。なつかしいから送ってくれっていってるんですけどねぇ。
オイルシールも当時日本は革でしたね。それで、ハーレーについていた耐油性ゴムのをメーカーにやって、革製のを100台分セットでもらったなんてこともありました。
イーグル号はヤマハでも1台買ってるはずですよ。YA1を造る前だから参考にされたんじゃないですか。

レースが好きだった
「レースは 21歳頃から、商売しながらずっとやってました。戦争中もやってまして、45歳くらいまで走ってましたよ。戦争中はレースをやるために、機械化国防思想普及大会っていうんですが、こうしないとオートレースできないんですよ。審判長は憲兵ですね。そうでないとガソリンも使えなかったし・・・。
当時はダートのオートレースですよ。JAPにエンジンなんか使って、フレームは自分でこさえましたね。もちろん試験受けて速くないと出られないんですが、ほとんど1着でしたよ。
ええ、イーグル号もレースにでました。だけどローが低くて、レース用にならなかったですよ。その代わり35°くらいの坂登りますけどね。オートレースは専用ミッションでないとだめです。だからレースではいい成績を残していません。
市販車のイーグル号の前になりますが、レース用のエンジンも20機くらい造りましたね。アグスタ(イタリア)のエンジンのカムを変えたり相当やって、いい成績をあげたんですよ。傘歯車使ってカム(ヘッド上)動かして、バルブはヘアピンスプリングです。よく回りましたよ。

レース区分に合わせて、200ccと150ccの2種類造ったんですよ。これは全部自分でやりましたから、イーグルの名前を入れたんですが、しばらくやってやめました。まぁ道楽みたいなもんですねぇ。20台はこさえたけど、一般に売るつもりなかったし・・・。
レースは本当に好きですねぇ。オートバイやめてからも、自動車レースはやりましたよ。ロータリー積んだレースカー造ったのも、ウチが最初でしたし、フォーミュラーカーもやりましたよ。」
新発明に取り組む
「イーグル号以降は、オートバイ作ってません。ガソリン規制っていうのがあったんですね。ガソリンを一般の車に使っちゃいけない、ということになって、オートバイを乗ろうという人が、いま使っているのさえガソリンが配給ということになってね。そのためにパッタリとオートバイがだめになった時期があったんです。それで私もあきらめちゃったんです。
九州でオートバイ造っても、合わないんですよ。部品を取るにしてもなんにしても不便でしょう。それで横浜に出てきたんですが今度は資本が無いんですよ。
そのままやればよかったんですが、レースばかりやってたでしょう。その間中断しちゃったんですねぇ。勝つ事ばかり考えてましたから。そのうちホンダやヤマハが大きくなっちゃって。私がこれを続けてればヤマハさんも資本はあったけど、ウチが先だからYAは出さなかったかもしれないしねぇ。
いまはカムを造るのもやめました。いくら良い物を造っても、すぐに真似されちゃうしね。いまはエキゾーストパイプとマフラーだけです。
去年偏心フライホイール装置って名前でガソリンもなにもいらないエンジンの特許取ったんです。ちょっと面白いですよ。いわばリニアカーと同じような理屈ですね。磁力で回してやるんです。現在のエンジンにはめれば、パワーは上がるし、自転車でもオートバイでも、これだけで走らせることができます。
自分で実用化しようと思ったら、何億、何十億ってかかりますからできないんですけど。将来はオートバイも、これにしたいと私は思ってるんです。これも私ひとりでやったんです。年はいってるけど、そんなことばっかりしているから、貧乏ばかりしてるんですよ。

第2次世界大戦後
日本には100以上のMCメーカーがあった。
そんな中には、ヤマハYAより5年ほど前に、
同じようなエンジンを持つ、
「イーグル号」を造った男がいた。
藤壷 勇が語る イーグル号の一生
対談、昭和57年 吉日







