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藤壺自動車工業 福岡県粕屋郡篠栗町乙犬996-5 TEL:092-947-4411 

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HISTORY 藤壺のあゆみ

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マスタリーレーシングクラブフクオカ

マスタリーレーシングクラブフクオカ
昭和40年、富士スピードウェイのオープニングレース。30度バンクをフルスロットルで駆け抜ける藤壺勇選手のトライアンフTR-4。右端 

 

 

富士スピードウェイのオープニングレース

 

 昭和39年5月に鈴鹿サーキットで行われた第2回日本グランプリは全自動車メーカーが参加したレースとしては最後となりました。各自動車メーカーの利害が対立し、この年の10月にJAFが第3回の開催の延期を発表し、誕生したばかりの自動車レースも混沌としていましたが翌昭和40年には東京近郊に船橋サーキットがオープンし、それから静岡県に富士スピードウェイが完成しました。鈴鹿サーキットが本田技研系であったのに対し、そこは三菱地所系でニュートラルな立場でレースを開催することが可能でした。富士スピードウェイの正式なオープンは昭和41年1月でしたがこれに先立つオープニングレースが前年に開催され、57歳になった藤壺技研工業の藤壺勇社長は自らトライアンフTR4 のステアリングをにぎって参加しました。出場者の中では最年長でした。

 富士スピードウェイは計画当初はオーバルコースであり、その後スターリング・モスの助言により大幅に手直しされNASCAR顧問のマニー・ペニーの基本設計によりようやく完成にこぎつけ、全長6kmのうち長い直線路に続く第1コーナーは30度もの傾斜角がつけられていました。バンクは強い傾斜角がつけられているため自動車はバンクの路面に強く押し付けられるかわりにほとんどスピードを緩めることなくカーブを走りぬけることが可能でしたが、このようなサーキットはアメリカのオーバルコース以外では極めて珍しく、もちろん当時の日本人は誰も垂直Gがかかるバンク走行を経験したことがなく、壁のように見える30度バンクは異質の恐怖感を抱かせ誰もがアクセルを離していました。しかし技研の勇社長は若い頃サイカホールの花形選手として活躍し、オートバイで垂直の大樽の側面を走り回っていましたので、30度バンクに恐怖感など全く無くただ1人フルスロットルで駆け抜け、多くの観客を驚かせました。

マスタリーレーシングクラブフクオカ
和42年の神奈川県大磯ロングビーチにて、マスタリー・レーシング・クラブ(MRC)主催のジムカーナ大会。日本全国から競技車が集合し、当時はレース競技が少なかったのでプロドライバーも参加しました

 

 

MRC.マスタリーレーシングクラブ

 

 富士スピードウェイのオープニングレースを契機としてレースの運営をアドバイスしたり、「マスタリーレーシングクラブ」を組織したりしました。
昭和41年からは当時としては異例なことで毎月のようにジムカーナレースを開催しました。本格的なレースはまれにしか開催されなかったので、ジムカーナ競技にはレーシングドライバーが競って参加しました。
最初は昭和41年、横浜ドリームランド、42年には大磯ロングビーチ、琵琶湖ランドなどでも開催されるようになり、このジムカーナは各地のクラブのメンバーたちが力試しにやってきました。


マスタリーレーシングクラブ主催のジムカーナは盛んなときには月に3回も開催していました。 

マスタリーレーシングクラブフクオカ

ホンダN360。軽も多数参加しました。

マスタリーレーシングクラブフクオカ

ダットサン ブルーバード410。MRC

マスタリーレーシングクラブフクオカ

オフィシャルの30型セドリック

マスタリーレーシングクラブフクオカ

ダットサン フェアレディ.SR311 

マスタリーレーシングクラブフクオカ

プリンス スカイライン.S54B

マスタリーレーシングクラブフクオカ

スタートするダットサンフェアレディSR311 藤壺技研フルチューン

マスタリーレーシングクラブフクオカ
10型カローラクーペ 藤壺技研フルチューン

 

 

藤壺技研フルチューン

 

 藤壷技研における自社チューニングは昭和40年頃から開始されました。コロナ1600S、スカイラインGT(S54)、ファミリア1000クーペなどがこの年に発売され、藤壷勇社長はそれらを購入し、本格的に手をいれました。まだこの当時はチューニングパーツは市販されていなかったので、ハイカムシャフトやマフラーはいうまでもなく、バルブスプリング、ポート研磨、シリンダーヘッド研磨、フライホイールの軽量化などあらゆる部分を独自に手を加えました。バルブスプリングなどは様々な車のものを集め、バルブスプリングテスターで最適なものを使用したり、適当なものがない場合はスペーサーを噛ませました。もちろんエンジンだけでなくサスペンションのスプリングはオリジナルで製作しました。スタビライザーも作り、ショックアブソーバーも独自で改良し、当時の日本国内に於いて比類のないチューニングを実現しました。


この藤壷ワークスカー以外にもオーナーの希望に応じて同様なチューニングを施しました。車種はフェアレディ、ベレット、スバルなど年を追うごとに多様になりました。

マスタリーレーシングクラブフクオカ

マスタリーレーシングクラブフクオカ

マスタリーレーシングクラブフクオカ

 実際、昭和41年の富士のクラブマンレースでは、藤壷チューンのコロナを駆ける長島選手が、トヨタ綱島スポーツコーナーのコロナを破って優勝しました。
当然トヨタはこの事実を大いに怪しみました。エンジンの排気量アップなどの違法な改造をしているのではと、そのエンジンをばらしても問題点はありませんでした。まさに技術の差でした。
しかしこんなことからトヨタ綱島と親しくなり、スポーツキットの殆どを開発、製作し納品しました。コロナの長島、柚田選手、プリンスの安田選手、フェアレディの新倉選手、キャロルの金井田選手などプライベート選手が藤壷チューンのマシンで富士スピードウェイを中心に出場し、自動車メーカーのワークス車に次ぐ成績を残し、ワークス車を打ち負かすことも少なくありませんでした。

マスタリーレーシングクラブフクオカ
藤壺フルチューンのダットサン.フェアレディSR311。 MRC 
マスタリーレーシングクラブフクオカ
兄弟と

 

 

藤壷技研のスポーツパーツ開発

 

 昭和42年頃から藤壷技研はトヨタカローラのスポーツキットを手始めに、トヨタスポーツコーナーへのパーツ納入をはじめていました。インテーク、エキゾーストを一体化したマニホールド、エキゾーストパイプなどのスポーツキットとして設定されていたパーツは藤壷の製品でした。
トヨタスポーツコーナーだけでなく、日産スポーツコーナー(大森)も加わり、藤壷マスタリー・カムは特に高評価を受けました。昭和45年10月にはスポーティーな2T-G型DOHCエンジンを搭載されたトヨタセリカ1600GTが発売されました。
このセリカは翌年からレース活動が開始され、その後かなりの期間にわたってスポーティーモデルの代表的存在として君臨しました。
特に2T-G型エンジンは、その後レビン、トレノ(TE-27 型)にも採用され、コストパフォーマンスの高い傑作エンジンとして高い評価を得ていました。そしてトヨタのスポーツキットに設定されていた「たこ足」エキゾーストマニホールドは2T-G型エンジンの高性能チューンには欠くことのできない存在となっていて、その「たこ足」こそ藤壷製でした。マニホールドはスチールパイプを曲げ、集合部分やフランジ部分を溶接し、曲率や仕上げなどの出来栄えでエンジンの性能が大きく左右されてしまいますが、生産加工技術に関しても藤壷勇は卓越した存在でした。
 その一方で藤壷マスタリーカムの性能が優れていることが定評になるにつれて、それをコピーしたカムシャフトが各所ででまわるようになりました。

マスタリーレーシングクラブフクオカ

 カムシャフトの性能とオリジナリティは、カムのプロフィールやリフト、つまりバルブ開閉タイミングを決定するカムの駒の形状にかかっていますが、この偏心したカム駒を創造するのは難しく、コピーするのは容易でした。
つまり藤壷マスタリーカムを種カムにして全く同一のカムシャフトを製作するのはそれほど難しいことではありませんでした。


勇たちは腹立たしい思いでしたが、どうすることもできませんでした。


昭和55年にスポーツキット・パーツを自動車メーカーへの納入という形態から、自社ブランド製品を直接市場へ送り出すという路線に転換しました。それはトヨタスポーツコーナーから、日産のスポーツコーナーと手を切ってトヨタだけの商売に専念することを望んでいて、それを藤壷勇に申し入れがあったことが原因でした。


しかし勇はその話を断り、新たな商売の方向を見出そうとしていました。

 幸いにも藤壷マスタリーカム全盛時代に全国の各地区に販売代理店があり、それらを通じて藤壷カムシャフトやマフラーを主力商品として販売店に送ることが可能でした。

マスタリーレーシングクラブフクオカ

最終点検をする藤壺勇会長。

マスタリーレーシングクラブフクオカ

スタート風景。ゼッケン45番は、藤壺フェアレディSR311.MRC。周囲は自動車メーカーのワークス車が占めていましたが打ち負かすこと多々あり、最強のプライベーターでした。

マスタリーレーシングクラブフクオカ

 

 

クラブの誕生とレース活動

 

 MRCFとはマスタリーレーシングクラブフクオカの略で、昭和 30年に神奈川県横浜市に藤壺技研工業を設立した藤壺勇社長が、MRCという組織をつくりレース活動をしていました。昭和42年頃のMRC主催の大磯ロングビーチのジムカーナ大会で、福岡から当地に来た当社の藤壺巖社長が、たまたま知人から借りたB10型サニー4ドアセダンで競技に参加したら車の持ち主よりも成績が良く、ここがレース活動の原点となりました。
藤壺技研の勇社長のアドバイスを受け、MRCという名称に福岡のFをつけてMRCFという組織を昭和43年に立ち上げ、JAF公認や、ブリジストン、モービル石油福岡、トヨタカローラ福岡、西日本新聞社、スポーツニッポン新聞社、山口三菱自販などの全国や地場企業から主催、協賛を受け、ジムカーナやレースは大盛況でした。


※写真は昭和30年代後半から40年代後半当時のものです。

 

 

ジムカーナ

 

 昭和44年頃からジムカーナ競技に積極的に参加するようになり、スバルff-1、ホンダS800、ベレットGT、ファミリアなどで走りました。会場は各地の自動車学校や飛行場跡地などを使用し、MRCFや各地のレーシングチームが主催しました。

マスタリーレーシングクラブフクオカ

 

 

藤壺勝会長製作のジムカーナ車(ベース、ホンダN)。500ccアップ、デフロック(溶接)、CRキャブ、レース用クランク(おむすび型)、ポート研磨、燃焼室加工、ビッグバルブ、レース用カム、強化バルブスプリング、クイックシフトに変更。安全タンクに交換。ピロボール、アクリルガラス、、タコ足、アルミボディ。このような軽自動車をベースにしてジムカーナ競技車を数台製作し、MRCFのクラブメンバーにも乗ってもらいました。車重が軽いために数々の好成績を叩き出しました。

マスタリーレーシングクラブフクオカ

 

 

同じく会長の製作車輌。500ccアップ、デフロック(溶接)、CRキャブ、レース用クランク(おむすび型)、ポート研磨、燃焼室加工、ビッグバルブ、レース用カム、強化バルブスプリング、クイックシフトに変更。安全タンクに交換。ピロボール、アクリルガラス、、タコ足、アルミボディ。屋根が無く車重が軽いため、好成績を残しました。ジムカーナ競技風景。ドライバーは藤永さん。(福岡市自動車学校)

マスタリーレーシングクラブフクオカ

藤壺勝会長製作のジムカーナ車(リア

マスタリーレーシングクラブフクオカ

こちらも同じ車

マスタリーレーシングクラブフクオカ

整列するジムカーナ競技車

マスタリーレーシングクラブフクオカ

福岡市自動車学校でのジムカーナ大会

マスタリーレーシングクラブフクオカ

ホンダS800。福岡市自動車学校

マスタリーレーシングクラブフクオカ

スタートするホンダ1300。MRCF

マスタリーレーシングクラブフクオカ

昭和47年頃のジムカーナ競技の競技風景。多いときは200台程になっていて、車種もトヨタ、ホンダ、スバルなど、多種多様でした。

マスタリーレーシングクラブフクオカ

ホンダS800。850ccアップ、CRキャブ、クランク研磨、燃焼室ポート研磨、ボアアップ、ビッグバルブ、ヘッド面研、ローウィンドウ加工、ジムカーナ競技車輌に多数改造しました。 MRCF

マスタリーレーシングクラブフクオカ

九州,曽根のジムカーナ大会。オフィシャルのサニークーペ。 MRCF

マスタリーレーシングクラブフクオカ

藤壺勝会長製作車の試験走行。420ccアップ、スリーキャブ、ポート研磨、燃焼室加工、アクリルガラス、チャンバー、アルミボディ。(ベース、フロンテ) MRCF

マスタリーレーシングクラブフクオカ

花本さんとファミリアロータリー

マスタリーレーシングクラブフクオカ

田島さんとファミリアロータリー

マスタリーレーシングクラブフクオカ

福岡県北九州曽根の飛行場跡地でのジムカーナ大会。ホンダS800

マスタリーレーシングクラブフクオカ

福岡県北九州曽根の飛行場跡地でのジムカーナ大会。ホンダN360

マスタリーレーシングクラブフクオカ

福岡市自動車学校でのジムカーナ大会、ホンダS800。MRCF

マスタリーレーシングクラブフクオカ

同じく会長製作車。MRCF

マスタリーレーシングクラブフクオカ

 

 

サーキット走行会

 

 西日本サーキット(美祢)がオープンすると、昭和48年頃からサーキット走行会もMRCFや各地のレーシングチームが主催し、それに積極的に参加しました。競技車はホンダZやダイハツフェローを使用しました

マスタリーレーシングクラブフクオカ

 

 

藤壺チューンフェローハードトップ

 

 スタートする福岡藤壺チューンフェローハードトップ360cc。レース用クランク、ポート研磨、燃焼室加工、ボアアップ+40cc、ソレックスキャブ、アルミボンネット&ブリスターフェンダー、アクリルガラス、安全タンク、スリックタイヤ。デフのギアを特注し、他の500ccにアップしている競技車と対等に走りました。西日本サーキット(美祢) MRCF

藤壺フルチューンホンダZ

マスタリーレーシングクラブフクオカ

点検するドライバーの藤壺巖社長。

マスタリーレーシングクラブフクオカ

点検整備する藤壺勝会長。

マスタリーレーシングクラブフクオカ

レース前の打ち合わせ。

マスタリーレーシングクラブフクオカ

快走する福岡藤壺フルチューンホンダZ。500ccアップ、デフロック(溶接)、CRキャブ、レース用クランク(おむすび型)、ポート研磨、燃焼室加工、ビッグバルブ、レース用カム、強化バルブスプリング、クイックシフトに変更。安全タンクに交換。ピロボール、アクリルガラス、FRPボンネット、スリックタイヤ、オーバーフェンダー。西日本サーキット(美祢) MRCF

マスタリーレーシングクラブフクオカ

TOMEIの鈴木誠一さんと藤壺勝会長。

九州運輸局長表彰店

有限会社 藤壺自動車工業

福岡県粕屋郡篠栗町乙犬996-5 TEL:092-947-4411