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藤壺自動車工業 福岡県粕屋郡篠栗町乙犬996-5 TEL:092-947-4411 

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HISTORY 藤壺のあゆみ

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明治・大正時代

 藤壷勇、勝が生まれた時代

 藤壷勇が誕生した時代は国内では日露戦争により国内の産業構造、軍事力が急激に変化しようとしていました。中国東北部や満州では日露両陸軍が空前の弾薬量を使用し、日本海や黄海では日本の連合艦隊とロシアの旅順艦隊、バルチック艦隊が激突し、人類が初めて経験した近代戦になりました。
日本海海戦では両軍の大艦隊が激突し、制海権を得るには軍艦の大量配備(海軍増強)が必要であることを実証し、それを実現するためには近代的重工業の発展が必要不可欠でした。

歴史

日本海海戦時の聯合艦隊司令部。前列中央、東郷平八郎提督。
右端は秋山真之作戦参謀。

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出撃する日本海軍の聯合艦隊。

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福岡県北九州市門司の凱旋式
Parade (Moji Fukuoka Japan)
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日露講和会議
Treaty of Portsmouth (1905)
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ロシア太平洋艦隊の根拠地、旅順港を砲撃する日本軍。

 明治政府はイギリス、アメリカの経済支援により財政危機をのりきり、かろうじて勝利をおさめ、大陸支配の基礎が確立し世界列強へと成長しました。
藤壷勇が生まれた時代は戦勝気分と隆盛間が全国の隅々までいきわたっていた高揚期でした。

乗るは自動車,弾くはバイオリン

 このような時期の国内自動車事情は、明治32年(1889年)に最初の自動車(蒸気エンジン)が輸入されました。
国産自動車は岡山の山羽虎夫氏が明治37年に完成した山羽式蒸気自動車が第一号でした。その一方、ガソリンエンジンではオートバイが自動車よりも一足早く輸入されていました。その後は欧米からガソリン自動車がぼつぼつ輸入され、それらを参考ににしてガソリンエンジンを搭載した国産自動車の、タクリー号が東京自動車製作所で完成し、有栖川家に納入されました。

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タクリー号。モルジブ共和国の切手。
Takuri type 3 (1907)


当時の上流階級では自動車ブームが巻き起こり、パイオニア達が自動車製作に挑戦していました。しかし当時の一般大衆にとっては自動車など触れる事もできない非現実的な存在であり、都会の最もハイカラな風俗は、「乗るは自動車、弾くはバイオリン」といったところが最先端でした。

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藤壷兄弟の生家
Fujitsubo brother's house.

鍛冶屋の息子

 

 藤壷勇は明治41年9月27日、藤壷勝は大正2年5月22日に熊本で生まれました。兄弟が誕生した当時の家業はいわゆる鍛冶屋(鉄工所)で、機関車の煙突の製作、人力車や客馬車を作ったり修理をしたりするのが仕事でした。

 職人が出入りし、兄弟も機械類に興味を持っていたので、小学生の頃には仕事を手伝っていました。また工場には機械や道具など動くものがごろごろしており、それを分解、組み立てなどの繰り返し作業をしていました。小さな頃から機械や道具に囲まれていた環境が大いに影響を受けたようです。


兄弟の父親の藤壷満喜はとにかく新しいものが好きで、電気が各家庭に普及し始めた頃に電気を引かないかと電気会社の方が来られ、今なら最初だから工事費は無料で3ヶ月間は電気代不要という触れ込みでした。ところが近所はだれも引こうとせず、電気は危ないもので電線の下を傘をかぶって歩いていた時代でしたが、満喜はだれよりも先に電気を引きました。

航空機への強烈な魅力

 

 少年時代の藤壺勇の心を強烈に打たれたものは航空機でした。大正5年に熊本の練兵場に航空機が訪問し、アメリカの飛行家チャールズ・ナイルスが日本全国を回って飛行ぶりを見せるという一種の興行のためのものでした。この当時は陸海軍をはじめとして国家的に飛行機に関心が高かったので、このような興行にも練兵場を貸していました。爆音を轟かせ大空を飛び回る飛行機を見ようと大観衆が詰め掛けました。機械やエンジンなどに馴染んでいた勇は航空機に対する憧れは強いものでした。
後年、ついに福岡(現、福岡市東区名島)の水上機発着場(昭和6年に同発着場にリンドバーグ訪問)にまで航空機郵便の操縦士にしてくれるよう訪ねたのですが、当時は逓信省から選抜された者しか採用されていませんでした。

 大正時代の頃(1916年頃)から藤壷鉄工所の工場にはガス、ガソリン、蒸気エンジンなどを扱っていて、それらを分解、整備をしていました。

 

オートバイへの衝撃

 

 アルベルト・アインシュタイン博士が大正11年12月に来福した翌年の夏の日、16歳のときに亡くした母の熊本にある墓参りの出来事で、父親と勇、勝兄弟と3人で借りた自転車で福岡から熊本まで向かう途中、久留米を経て三楠峠の登り道にさしかかった時に後方から軽快なエンジン音が響き、土煙をあげながら1台のオートバイがあっという間に追い越しました。
必死に自転車をこいでいるのにオートバイは楽々と走っていったことがとても衝撃的で、これからはオートバイの時代だとかすかなエンジン音を響かせながら遥か前方を走り去るオートバイを見つめながら痛感したようです。これがきっかけとなり、急速にのめり込んでいくことになりました。

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福岡(福岡市東区名島)の水上機発着場

Airport(Najima Fukuoka City)

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アルベルト・アインシュタイン博士の来日。大正11年11~12月

Albert Einstein

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大正14年(1925年)の藤壺勇(17歳、左側)とSSDレーサー。宍戸製作所前で。オールドタイマー誌No100、「広島に現れた国産の先駆けSSD」より。

Isamu Fujitsubo and SSD racer.(Sisido Co., Ltd. Hiroshima 1925)

九州運輸局長表彰店

有限会社 藤壺自動車工業

福岡県粕屋郡篠栗町乙犬996-5 TEL:092-947-4411